父33回忌を終えて [たえの日記]
5月の連休中、父の33回忌がありました。
節目の法事は無事温和な中、終わることが出来ました。
そして数日後・・・父との思い出の場所をちょっぴり
ドライブしてきました。
立ち寄ったのは、父が良く遊びに連れて行ってくれていた公園の一つです。
当時はジャングルジムなどもあったけど、
今は遊具がこれだけでした。
そしてすぐ側にある、父が永年勤めていた会社。これはシンボルともいえる塔です。
景気も良かった時代、工場では、夏には盆踊り大会などもあり、
私も毎年のように行きました。
父が亡くなったのは私がまだ中学生の頃でした。
子供思いだった父はで休日になれば私達(私と弟)をよく遊びに連れて行ってくれました。
とても温厚な人でしたので、、怒られた記憶もたった1度しかありません。
只、もしこの先も生きていたとすれば、それなりに衝突してしまうことも多くあったかもしれないので、
そういった意味では、良い思い出だけを多く残したままこの世を去る事が出来たのかもしれません。
あれから33年。
その間私は家庭を持ち、世の中では
様々な景色や状況が変わってしまいましたが
ふと時々生まれ育った街を歩いて見ると、無邪気で幸せだったあの頃に
ひと時だけ戻れる気がするのです。
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節目の法事は無事温和な中、終わることが出来ました。
そして数日後・・・父との思い出の場所をちょっぴり
ドライブしてきました。
立ち寄ったのは、父が良く遊びに連れて行ってくれていた公園の一つです。
当時はジャングルジムなどもあったけど、
今は遊具がこれだけでした。
そしてすぐ側にある、父が永年勤めていた会社。これはシンボルともいえる塔です。
景気も良かった時代、工場では、夏には盆踊り大会などもあり、
私も毎年のように行きました。
父が亡くなったのは私がまだ中学生の頃でした。
子供思いだった父はで休日になれば私達(私と弟)をよく遊びに連れて行ってくれました。
とても温厚な人でしたので、、怒られた記憶もたった1度しかありません。
只、もしこの先も生きていたとすれば、それなりに衝突してしまうことも多くあったかもしれないので、
そういった意味では、良い思い出だけを多く残したままこの世を去る事が出来たのかもしれません。
あれから33年。
その間私は家庭を持ち、世の中では
様々な景色や状況が変わってしまいましたが
ふと時々生まれ育った街を歩いて見ると、無邪気で幸せだったあの頃に
ひと時だけ戻れる気がするのです。
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